Buddy Guy/バディ・ガイD〜入魂のピック


バディ・ガイが渋谷クアトロで見せてくれたライヴ・パフォーマンスは
その一つ一つが真剣で多種多様に富んでおり、
1時間30分という時間を彼は完全に燃焼し尽くした。

バディは青いタオルをネックにかけ、
タオルを滑らせることによって音を出したり、
お腹や背中でギターの弦をこすりながら演奏もしてくれた。
歯やドラムのスティックでもギターを弾いた。
本人は遊び半分でやっているのだが、
それらのテクニックは芸術の域に達しており、感嘆の言葉しか出ない。

ある意味バディのパフォーマンスはマジシャンを連想させる。
手の使い方、特にピックを持つ右手の動きがマジシャンのように華麗なのだ。
10日程前に急遽Mさんが送ってくださった
テキサス・ウッドランズでのブルース・ミュージック・フェスティバル(1993)
の映像を観た時もそう思った。
きっとバディは子供時代、物が何もない暮らしの中で
あれやこれやと工夫しながら遊んだのだろう。
それがギターの弾き方に表れているように感じられた。

バディがフィード・バックをかけてある音を1分近く伸ばした時、
後ろからローディーがやってきてバディに白いマグカップを差し出した。
その時バディは直立不動で目を閉じた状態。
しかし彼はグッド・タイミングで右手を横に出し
マグカップを掴んで口に持っていったのである。
その演出を見た観客は大爆笑。
彼のショウマン・シップやユーモア・センスが
ライヴの至るところで垣間見られた。

ライヴの終盤、こんなハプニングもあった。
バディが身体を大きくのけぞらせてソロを弾いた途端、
かぶっていた帽子がふわっと飛んで彼の足元に落ちてしまったのである。
みんなは
そこまで熱くなってギターを弾いてくれたバディに感動して大歓声をあげた。
まわりのどよめきからバディは緊急事態に気がつき、
自分の足で踏みつけそうになっていた帽子をすぐさま拾ってかぶり直したのだ。
それからは帽子のことを気にかけるようになり、
茶目っ気たっぷりの表情を見せながら
帽子のつばさに時々手をを置いてギャグにしていた。
バデイは「帽子を落としちまったぜ!」とすかさず歌にした。

有名曲のリフもおいしいところだけ弾いてくれたバディ。
例えば、ローリング・ストーンズの『サティスファクション』、
クリームの『サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ』や
ジミ・ヘンドリックスの『ヴードゥー・チャイル』など。
レイ・チャールズの『ホワッド・アイ・セイ』や
ジョン・リー・フッカーの『ブーム・ブーム』は
さわりだけでなくきちんと歌っていた。

誰かが「T−ヴォーン!」と叫んだら
「俺はバディだけどT−ヴォーンはマスターだからね!」と言って
『ストーミー・マンディ』も歌った。
そういえば『フィーバー』もやったし、
「これはバディの歌だ!」と言って
『フィールズ・ライク・レイン』も終わりの方で演奏した。

「ブルースには3つの表現方法があるんだよ・・・
一つはこれ・・・もう一つはこう弾くんだ」といって
真面目な顔をしながらブルースのレクチャーもしてくれた。

バディは盛んに「I feel so good!」(いい気分だよ!)と言いながら
ギターを弾いてくれたので、私としてはそれが何よりも嬉しかった。
アコースティック・ギターを抱えてステージの上を右往左往し、
マイクから離れて地声のまま歌う場面があったが、
その時彼は「今日の俺はいったいどうしたんだろう?」
「これじゃまるで子供だな・・・」などと歌にしながら
あふれ出る熱きエモーションに自ら驚いている様子を端的に表現していた。
バディは即興で自分の気持ちを歌にしてくれるのでとてもわかりやすい。
それも闊達な表現方法で。
これぞブルースマンの真髄だ!

ラストの曲あたりで、ローディーが後ろから出てきて
バディにピックをたくさん渡した。
多分10枚以上あったと思う。
切った弦と同様、彼はピックも観客に向かって投げ始めた。
みんなはそのピックがもらいたくて必死である。
ラッキーなことにTさんは降ってきたピックを
ナイス・キャッチすることができ得意満面な様子。
私はすでにバディからピックをもらっていたので
その時は手を出さなかった。

午後8時20分頃、バディがステージから去り、
バック・メンバー達も控え室に戻って行く。
観衆からは「バディ!バディ!」と熱いアンコールを求める歓声が
拍手と共にあがり、すぐに彼らは姿を現わした。
バディはたくさんのピックを握りしめている。
彼が再び笑顔でピックを投げたり手渡している様子を見て
私は躊躇しながらも右手をバディに向かって出してみた。
そうしたらバディはまた私の手の中にピックを置いてくれたのだ。
もうこれ以上望むものは何もない・・・感無量である!
『リトル・バイ・リトル』を歌うバディの姿を感激に浸りながら脳裏に焼き付けた。
結局バディは合計3回1弦を切り、
壮絶ライヴは熱狂のうちにお開きとなる。

翌日の午前中、私はバディからもらったピックを
柔らかい光が差し込む中、手のひらの上に置いてじっくり観察した。
炎のソロを弾いた後のピックには
「WHAT BUZZ?」と書かれていて、
裏の自筆サインは指圧でほとんど消えかかっている。
驚くべきことに、ピックの3つの角のうちひとつは5mm程擦り減っており、
もう一つの角も削れ始めていた。

これはいつから使っていたピックなの?
日本に来てから使い始めたものなの?
ここまで欠けてもピックを捨てなかったのは
何か思い入れがあったから?
こんなにも欠けたピックを見たのは初めてだったため、
たくさんの疑問が私の頭をよぎった。
ライヴだけでなくピックまでもが壮絶だったのである!
バディがみんなに配った「OPEN FOR LUNCH」と印字されたピックとは
明らかに薄さも違っていた。

欠けたピックをじっと見つめていたら、
様々な考えが私の胸に去来してきた。
バディのギターが作り出す成熟した音色、
生々しい迫力の秘密はピッキングにあったのだ・・・
それは弦を強く弾けばいいという単純な問題ではない。
彼はここぞという時に感情をグッと移入することができ、
その時全身をかけめぐった感覚が
歌やギターのフレーズとなって表現される。
つまりピックの一点に彼の魂が凝縮されているということなのだ。
その感覚の礎になっているものは、
彼が幼い頃バプテスト教会で味わった神秘的なフィーリングなのだろう。

これは芸術の世界全般に言えることだと思うが、
いかに豊かな感情を育んでいくか、
それがアーティストにとって一番大切なことだと思った。
人生の中で生じる喜怒哀楽や諸々の感情をいろいろな角度から体験し、
そこから生まれた感性を歌やギターなどの楽器に反映させていく。
私が愛するミュージシャン達は、そういったことを
ごく自然にやってのけていることに気がついたのである。

ギターは繊細な楽器ゆえ、
弾く者の表現力に応じて響き方やニュアンスが千変万化する。
バディが残していってくれたピックに彼の深遠なる人生と想いが感じられ、
私は目頭が熱くなってしまった。

★みんながそう思ってるかどうかは別にして、
今では黒人のスピリチュアルとブルースは
すべての音楽の一部になっている。
先輩の誰かに貰ったものを引き継いで、
それを後輩のために残していく。それが俺達の役割なのさ。
そのうち誰かが俺に関しても同じことを
いってくれることを祈ってるよ。
ブルースが生き残るには、誰かが演奏するか、
話題にするしかないんだ。
<バディ・ガイ>

<05・6・21>












































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